2011年3月31日木曜日

東日本大震災をうけて 環境整備と自然

〜被災地の方々の不安や悲しみが少しずつでも和らいで行き、心に希望の光が灯りますように。
亡くなられた方々が突然の死に対する悔しさや悲しみ・恐怖から解かれ、安らかな眠りにつかれますように。〜


東日本大震災が起きてから、被災地の方々のことを思うばかりで私自身どう動けば良いのか分からず立ち止まっていた。けれど今、私に出来る事を考え、震災をうけて考えた”環境作りと自然”について書こうと思う。


*環境づくりにおいて、”自然=害”のイメージが強まることへの懸念。

自然災害が起きた後、環境づくりは自然を拒否する方向へと進みがちだ。
特に水害に対しては人の生活の場と水辺を切り離す形で対策が採られ、河川は頑丈なコンクリート護岸で囲まれ、海岸沿いには背の高い防波堤が築かれてきた。
今回のような大きな津波を受け、海岸は今後どのように整備されて行くのだろう…。
海が悪者として見られ、人の生活からさらに切り離されてしまうのではないかと心配だ。

様々な方面から防災対策が採られ、”災害から人の生活を守る”事を基礎に置いた上で、人と自然が良い関係を育んで行けるような整備がされていく事を願う
自然は脅威である以上に、人に希望や豊かさを与えてくれるのだから。


*原子力発電所について。
原子力発電所が壊れ、放射能が外部に出るという事態が今起きている。
一部の人や野菜、水から放射能が検出された。
原発周辺の海や土壌は、より多く汚染されているだろう。これらの海や土壌はどのくらいの被害を受け、回復までにどれくらいの時間を要するのだろう。

原子力発電。
おそらく日本中の多くの人が、不安を感じながらも、「まぁ大丈夫だろう」「今の日本の消費電力では頼らざるを得ない」と、原発を良しとしていたのだろう。
結果、不安は現実になり、人に被害をもたらし自然を汚染している。

不安は、運良く現実にならないこともあるが、現実になる可能性がある。
今回のことで、不安を持ちつつ便利な暮らしをするより、安心して暮らす事の大切さを実感した。

人に害のある物は、他の生き物にも害がある。
環境に良いものであれば、人にとっても安心出来る物だろう。
今は、自分たちの暮らし方や環境について考え直す機会かもしれない。

もうひとつ。
原発について、国民はどれほど真剣に考える機会を得て来ただろう?
原発についての情報はしっかり提示されて来ただろうか?
議論し、国や電力会社に意見を述べる機会があっただろうか?
私自身を振り返ってみても、原発は発電所の建設候補地域内だけの問題のように思っていたし、自分で深く考えたり人と議論する事などなかった。

今回の原発の問題は東電と国だけの責任ではないように思う。
原発について十分な情報を示されず議論し意見を述べる場を提供されなかったとは言え、原発を「まぁ良し」としてきた私たち国民にも責任がある。

今後は、自分たちの暮らしに大きく関わってくる事について、国民がきちんと情報を得て、判断し意見を述べて行けるような社会になっていく必要があるのだろう。


より良い暮らし、より良い自然との関わり、希望のある社会を願って。

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